裁判について
ここでは、先生の裁判についての情報を私が知りうる限りまとめてみました。主な情報源は韓国の摂理教団サイトです。公平な内容ではないかもしれませんが、アンチ摂理サイトで掲載されている内容の多くが、出所不明のため、ここで触れることは避けております。
1999年3月21日、大々的な報道がなされる
1999年1月、海外宣教のためヨーロッパで旅立った直後の1999年3月、ソウル某放送局により先生を性的醜行者、経済搾取人、統一教の亜流者として大々的に報道される。
信徒に物乞いや盗みなどでお金を稼がせる指示を出したと報道されるが、そのような事実はありません。
統一教の亜流と、先生と直接会って話したこともない人物により評価されていました。信仰は理論ではなく、生活であり、体験に基づくものにも関わらず、マスコミは外側から眺めた外貌で信仰を論じていました。
マスコミは先生が海外逃亡していると伝えた
「なぜ?総裁は韓国に入って来ないのか?」
「罪があるからではないのか?」
先生は、海外宣教のために1999年1月、韓国を出国し、その後3回韓国へ戻って来て検察の調査を受け、正常に出国されました。
1999年6月には放送、マスコミや反対勢力の間違った情報提供に基づく陳情等によって検察の調査を受けましたが、不起訴処分になり、2000年3月にも反対勢力による女性関連の性的問題で刑事告発されましたが、調査後不起訴処分になり、2001年2月にもやはり反対勢力等によって偽りの主張で民事訴訟を起こしたという罪で告発されましたが、嫌疑はないという処分になりました。
これによって当時提起されていた性的醜行疑惑は事実上、一段落しました
しかしマスコミは1999年に海外へ出て逃亡生活を続けてきたと報道を続ける …。
しかし三度にわたって調査に応じる時間は、先生にとっては実に惜しいものでした。既に世界宣教のために献身を覚悟して出国した足を再び戻すということを三度もした以上、このようなことに多大な時間を使うなら、神様の歴史に大きな損害を及ぼすことは自明なことでした。
先生に与えられた時間をどう使うかによって20万の会員達の人生の方向が狂い、時には一人の命の生死の問題が左右されたりもします。
先生は決断せざるを得ませんでした。誰がどんな告訴・告発によって先生の足を引っ張ろうとするとしても、そこにひとつひとつ対応したり、誤解を解いてまわる時間と労力の代わりに、その場で他の人の痛みを癒すところに使うほうが急を要する。いろいろな誤解を受けて濡れ衣を着せられる場合が生じたとしても、召命を成すことが優先でした。世俗の関心より天の命令に従わなくてはならない使命者の路程でした。
反対勢力による民事訴訟は、先生が海外に滞在中であるという理由で起訴中止となり、先生は国際使命手配されるようになりました。
マスコミへの情報提供者
性的被害を受けたと主張する女性の隣にいつもいたキムAとキムB。
メンバーの中でも、自分の野望と愛を引っ込めない人たちがいました。本来、先生と共に行く道は求道の道であり、献身の道が優先ですが、若い血気によって自分たちの野望と欲情を制御できなかった人たちもいました。彼らは先生について行って野望を成就し、名誉を得ようと期待しました。しかし先生の教えは、年輪が深まれば深まるほど善行と献身の模範を見せなさいというものでした。
これに耐えられなかった人たちは結局、摂理を離れたりもしたし、自分たちの過ぎた歳月に対する喪失感を償ってもらおうとしたりもしました。
彼らは先生の性質と摂理の体制に詳しいので、どのように攻撃すれば先生に大きな打撃を与えられるかをよく分かっています。そんな彼らが被害者であり、情報提供者だという人たちになったのです。キムA、キムBも彼らのうちにいた人でした。
2003年頃、反対勢力のキムA、また別のキムBが香港で先生に侮辱的な悪口を浴びせて殴打する場面を撮影してアンチサイトに掲示し、放送に情報提供した事実がありました。
これによって一部の義憤を抑えられなかった若いメンバーによって暴行事件が起こりましたが、これは先生や教団の次元で報復テロを加えたりそそのかして起こったことではありませんでした。
愛の神様を強調する先生の教えにも反しますし、いくら教団と先生を陥れ反対しても暴力はあり得ないことなので、事件の関係者たちはすでに法的措置を受けました。
それでも反対勢力はこれを先生がそそのかしたものと言い張って告訴してきたりもしました。
教団とメディアの訴訟
韓国でも台湾同様に摂理の教会がニュースメディアに対して、その中傷発言や公正でない名誉毀損などについて訴訟を起こしました。
台湾の新聞社は公式な謝罪文章を掲載した。
韓国でもまた、法廷が下記の理由で摂理の教会の勝利を判決した。
1)メディアは告発人などから提供される片方だけの情報を使用してはならない。
2)メディアは放送の48時間前にはその組織に通知しなければならない。
3)メディアは放送時間の5%は、反論を述べるために教会側に確保しなければならない。
4)仮にこれらの命令が侵害されたなら、メディアはそれぞれの侵害行為に対して3000万ウォンを支払わなければならない。
キムAとキムBの情報提供による放送はしてはならず、違反した場合は、罰金を払い、既存の放送資料を再使用してはならない。
告訴を取り下げる代わりに金銭を要求
手紙でキムAは先生の無実を認めました
しかし彼は先生に関する全ての法的問題を取り下げてやるという条件で金銭を要求します
手紙には先生の愛する弟子たちに対する内部告発が記されていました。彼らによって先生の事件がでっち上げられつくられたと…
2005年、キムAは被害女性の告訴取り下げと自分との和解条件として20億ウォンを要求してきました。
また、先生を告訴した女性のうち、先生を告訴すれば留学費用を支援してあげると提議されている人もいました。
結局、キムAが代表を務めていたアンチ団体は、経済的破綻により、一旦なくなりました。
しかし、マスコミによって報道された負のイメージは残り続けます。
中国での投獄
2007年5月、先生は中国で逮捕され、種々の誤解に基づき投獄されました。
宗教上、また政治上の両方の理由から獄に入れられた。というのは、中国当局は先生が台湾の大統領と一緒に写っている写真を発見したためでした。政治上の囚人が中国の牢獄で死を免れることはほとんどありません。
一年の投獄と、尋問の後、中国当局は先生が無実であることを認め、釈放しました。釈放される前に、このまま中国に留まりたいか、韓国で法廷に出頭するか問われましたが、先生は韓国での裁判への道を選びました。
韓国での裁判
韓国の裁判は一般に公開されます。これはつまり、一般大衆の認識が裁判の決定に大きな影響力をもつということです。先生の裁判において、無責任な報道や先入観にとらわれた裁判所の決定が不公平な裁判の結果となりました。
原告は証拠を誇張し、捏造したことが明らかでした。しかし法廷は一切の提示された証拠ではなく、原告の証言のみよって有罪を決定しました。
中国で被害を受けたと主張していた女性は中国内の取調べで医師によって暴行はなかったと認められたものでした。
原告のうち一人は、当初、性的暴行を受けたといっていたが、偽証であったと宣誓し、告訴を取り下げました。彼女は法廷で母の手をとり、警察と検察官に提出した陳述を破棄し、完全に暴行の申し立てを否定しました。法廷が彼女に「もし、あなたの証言が申し立ての内容と違えば、ペナルティを課しますよ。」と警告してさえも、彼女ははっきりと言いました。「私は罰を受けても構いません。真実は私は性的暴行を受けていないということです。私と一緒に申し立てた原告Dも絶対に、強姦されたり、性的暴行を受けたりしていません。」
裁判官達は先生が摂理の創設者である事実から、摂理の教会に所属する人の証言は信用することが出来ないと結論づけました。
宗教についての裁判のため、他の裁判において適合される全てのルールがこの件については当てはまらないとし、裁判官は仮にこの裁判が宗教のものでなければ、初めから棄却され、このような裁判は審議さえされなかったであろう。と公に述べさえしました。
先生はどんなに原告が被害者であることを主張したり、どれほど彼らの証が信憑性があるように思われても無実であることを主張し続けました。情けを請い、刑罰を軽くすることを要求しなかったことは、実際、先生を有罪だと疑っていた裁判官への侮辱ととらえられました。裁判官は先生が罪を認めず、女性の原告を慰めようともしないことに、法廷を侮辱していると見なしました。
そして、2009年4月、法廷は先生に10年の懲役を判決した。通常、韓国の法廷では裁判官は厳しい刑罰を与えるが、その後、弁護士の交渉で刑罰が軽くなります。先生はあらゆる交渉を断りました。何故なら、交渉するということは、罪を認めることになるためです。完全に無実であるから、交渉はしませんでした。イエス様がカルバリの道を行かれることを拒まなかったように、先生はこの時代の十字架を負うといいました。
先生の精神
『先生を憎む人たちがたくさんいました。
彼らが地獄に行かないように彼らのために祈り、全て許してあげました。
ある日主は私に、“あなたは私の恋人なのに、誰がこのようにあなたをここにいさせたのか。私が黙っていない。行った通りに報いてあげよう。”とおっしゃいました。
このとき私は主に、“私には敵もいないし、憎む人もいません。主の後についてここに来ました。”と言いました。その時は2007年7月でした。
主は“本当にいないのか?”とおっしゃいました。
私は“本当にいません。いれば私が神様に訴えて処理するでしょう。私は先に許してしまうから、私には敵も、憎む人もいません。主が教えてくださったとおりに聞き従って行くべきでしょう。”
『先生も中国にいた時本当に後悔していたことが一つあります。
本当に心にわだかまりとなって残っているものがあります。
みなさんと一緒に過ごしていた時、みなさんと通じている時に、もっとよくしてあげればよかったと本当に地獄のように苦しかったのです。
だから死ぬ前に、私がやってあげられなかったことを全部してあげられるようにしてくださいと主に祈りました。
そしたら、主はみんなのために祈ってあげなさいとおっしゃいました。だから一人一人の名前を挙げ、顔も知らない人たち、摂理の全ての人、一人も抜かさず全ての人のために祈ってあげたと言いました。
一緒にいた時にしてあげられないとここまで心が痛むのか。
皆さん、その苦痛を感じたことがありますか?
その苦痛は、その恨(ハン)を解く時まで続きます。
先生はそれでもみなさんにしてあげることをそれでもたくさんしてあげました。まだ足りないことがあればもっとしてあげられるようにと祈るつもりです。やってあげられる分だけ、全部やってあげて体が本当に壊れるくらいまでやってあげたのに、それでも心残りです。本当に打たれてしまっている人、辛く思っている人によくしてあげられなかったこと、もっとしてあげられなかったことが未練で心残りです。
管理人:ヤコブ